嗅覚の鋭さ。HSP傾向のある私の体験談。
こんにちは!kotobatohanautaです。
HSPの特徴の1つとしてあげられる五感の敏感さのうち、今回は私の嗅覚についてのお話をしたいと思います。
聴力と同じく、私は物心ついたときには自分の嗅覚が人より鋭いことを感じていました。
しかしこれについては、別段生活に悪影響を与えるようなことはほとんどなかったので、むしろ便利に感じるようなエピソードをお話しすることになります。
自分の嗅覚が人より鋭いと感じる場面としては主に、
・自分の苦手な食べ物の存在に気付きやすい
・料理の匂いでどのような味なのかある程度わかる、痛んでいないかわかる
・人それぞれが持つ匂いに敏感で、匂いで人を判別できる
といったことがあります。
苦手な食べ物については、例えばピーマンやセロリなど。
母親が買い物から帰ってきたとき、家に入ってきた瞬間セロリを買ってきているとわかったり、バスに乗っているときなら車内の誰かがセロリを持っているとわかります。
クラスでお弁当を食べる場合などは、クラスの誰かのお弁当にピーマンが入っていると、どの方向のお弁当に入っているかも大体わかります。
野菜ジュースなら、匂いを嗅げばピーマンやパプリカやセロリなど何が入っているか判別ができて、緑ピーマンか赤ピーマンかまでわかるので友達にびっくりされます。
一度嫌いな食べ物が入っていたボウルや容器なども、匂いで何が入っていたかわかったりします。
料理の匂いについては、苦手な食べ物の匂いに関することと近いですが、初めて出会った食べ物が自分の受け付ける味のものなのか匂いで正確に判断できます。
なので、よく知らない料理や、これまだ大丈夫かな?というものはまずクンカクンカと嗅ぎます。
最後の、人が持つに匂いに関してですが、これが一番生活の中で面白いかもしれません。
仲の良い友人などだと、後ろを通り過ぎるだけで誰が通ったか判別できますし、下手するとその人が通った道を通ったとき、「さっき〇〇が通ったな」とわかることもあります。
誰かが抱きしめていたクッションは大抵誰が抱きしめていたかわかりますし、忘れ物の服などは匂いで誰のものかわかったりします。
自分の家の中にいて、なんだか誰かがこの家にいるような気がして落ち着かないなあと感じていた時は、友達から借りていた服が持つその友達の匂いが原因だったりもしました。
あとはやっぱり、好きな人の匂いには特に鼻が効きます。(これは共感してくれる人多いのでは)
あとは部屋の中のお花の匂いが私にはきつすぎるように感じてしまい、自分でお花を買いたいと思ったときには極力まで匂いの少ないお花を選んだり、柔軟剤や洗剤の匂いの中にも受け付けないものが多くあるため、テスターなしで購入してしまうと大抵もったいないことになってしまったりします。
久しぶりに実家に帰ったとき、どうやら家族が洗剤を変えていたらしく、あまりにも居心地が悪くなって長居できなくなってしまったり、その洗剤で洗濯された服を着れなくなってしまったりしました。
シャンプーなどの匂いにも敏感なため、洗剤やシャンプーは生まれてこのかたほとんど変えたことがありません。旅行などで違うものを使ったときには、なんとも落ち着かないような感覚になります。(ちなみに私はエッセンシャル一択です。いい香りです。)
嗅覚は生活の中で、危険察知に役立ってくれているなあと感じることが多いです。
これからも鋭くあり続けてくれたら嬉しいかも。
あとがき。
私はお菓子作りが好きなのですが、最近丸ごとメロンケーキを作りました。
中をくりぬいてクリーム、スポンジ、果物を何層にも重ねるケーキです。
うまくできて大満足でした!
買ったら1万くらいしたりするし、意外と綺麗にできると思うのでオススメです。
聴覚の鋭さ。 HSP傾向のある私の体験談。
HSPの特徴の1つとしてあげられるのが、五感(知覚・嗅覚・味覚・聴覚・触覚)の鋭さです。
今回は私の聴覚の鋭さについてお話ししようと思います。
私は物心ついた頃から、日常生活の中で自分の耳がとても良いことに気づく機会が多くありました。
それが果たして「聴力が高い」ということだったのかはわかりません。他の人の耳にも実際は聞こえているけれど頭が無視しているだけのものを、私は無視できなかった、ということなのかもしれません。
人よりも耳が良いと感じた場面としては、
・同じマンションのどの方向のどのくらい離れた部屋の鍵が開けられたかがなんとなくわかる。
・誰かが家に帰ってくるときに、扉に手がかかるよりずっと前からわかる。
・部屋の中に虫がいると、小さな虫でも存在がわかる。
・嫌いな音が含まれるCMが流れる時、言葉の一文字目の音でそのCMであることがわかる。
などが日常的にありました。
上3つについては、正直なところ音によってわかっていたのか定かではありません。
大まかに「感覚で」わかるという感じです。直感というものかもしれません。
ただ、他の人に言っても「?」という反応で返されて、後から「ほら、やっぱり!」となることばかりだったので、自分が特に鋭いのだと感じていました。
これらについては困るようなことではなく、むしろ便利な部分が多くありましたが、この聴覚の鋭さがマイナスに働く場面もありました。
例えば、
・他人の咀嚼音がどうしても無視できない(耳を塞いでいないと一緒に食べられない)
・発泡スチロールが擦れる音に耐えられない(わずかでも聞くと泣きそうになる。耳を塞いで声を出してかき消してしのぐ。)
・CMで流れる嫌な音に耐えられないため、テレビを安心して観られない
などのことがありました。
CMについては、同じ引越しセンターのいくつもあるCMのうち、1つだけで流れる音が苦手でした。しかし、CMの始まる言葉の一文字目でそのCMであるか判断できるようになったおかげで、始まった瞬間耳を塞いで声を出して凌ぐことができるようになっていました。
単純に聴力が落ちてきているからなのか、頭が苦手な音をある程度無視できるようになったからなのか。
聴覚が敏感であるがゆえにしんどかった部分は、歳を経るごとに少しずつましになってきて、少し楽になったように感じています。
あとがき。
毎日暑くて暑くてバテてしまいそうですね。
今海を見る機会が多くあるのですが、見るたびに飛び込みたくなります。
なんで私はカナヅチなんだ!
HSPやギフテッド、不登校についてのお話。
初めまして!kotobatohanautaです。
まずざっと自己紹介をさせていただきたく思います!
私は長くの不登校時代を経験し、現在は関西の大学・大学院を卒業した25歳です。
大学・大学院では幼児教育や発達心理学などを主に学び、幼稚園教諭一種免許及び保育士資格を取得しています。
現在はHSPやギフテッドについての勉強を進めています。
この勉強をしていく中で、これまではぼんやりと持っていただけの、「自分はHSPなのではないか」という疑念が、確信に近いものになりました。
また、ギフテッドである可能性もあるのではないかと感じながらも、どちらとも言い切れないなーと感じています。
私は幼少期、幼稚園や学校の中で他の多くの子どもたちのようにうまく集団生活を送ることができず、長くにわたって不登校の状態を続けていました。
その頃は、「なぜ自分だけ学校に行けないんだ」「自分は弱い人間なのだ」と自分を否定して思いつめると同時に、「なぜあんな大人たちをみんなは信じていられるのか」「なぜあんな空間で楽しそうに過ごせるのか」と、先生やクラスメイト、学校のシステムといった環境にも問題があることを感じ、その中で普通に過ごしている人たちの方が信じられない、という気持ちも抱えていました。
幼いながらに、自分がこの世界の中でマイノリティーであること、それも生きていく上でマイナスになる要素を抱えているマイノリティーなのだと感じ、息苦しさを覚えていたのだと思います。
それどころか、小さい頃の閉じた世界の中では、私のような人間は他に誰も存在しないのではないか、誰1人私と似た感覚の中で生きている人などいないのではないかと考えていたように思います。
私が幼かった頃、HSPやギフテッドなどという言葉はほとんど広まっていませんでした。故にこれらの特徴を持つ子どもにとっては、自らの特性を客観的に捉えてくれる尺度を見つけられない状態であったのではないかと思います。
自らを当てはめることのできる「枠組み」がないことは、私にとってとても苦しいことであり、自らの居場所を見つけることを難しくさせていたと思います。
しかし現在、HSPやギフテッドという概念が日本に広まりつつあり、悩みを抱える子ども達やその保護者の方達の耳にも届きだしています。
そんな中で、当事者自身が経験や考え方などを語ることは、HSPやギフテッドについての理解が広まっていくための、ひいては悩みを抱えている子ども達やその保護者の方達の心を少しでも軽くするためのわずかながらにも糧になるのではないかと考え、このブログを始めることにしました。
また自分自身も、文字に起こすことで自己を見つめ直すきっかけになればいいなと思っています。
ただ冒頭でも申し上げたように、私はこの道の専門家ではありません。
多くの専門知識をお伝えすることはできませんし、私の主観を中心に書いていくことになると思います。もしかすると不適切な表現も含まれるかもしれません。
また、私ははっきりと「自分は間違いなくHSPだ」「ギフテッドに違いない」と確信を持っているわけではありません。
私のように、どちらとも自分で言い切ることはできないな、そうかもしれないし違うかもしれない、と感じている方はたくさんいらっしゃるのではないかと思います。
しかし私はそこにはっきりと白黒つける必要はないと考えています。
なぜなら、これらの名称ははっきりとした境界線を引くためのものではなく、一人一人の大切な個性を万人が捉えやすくするためのツールに過ぎないと考えているからです。
なので、あえて漠然とした部分を残したまま、ここはHSPやギフテッドの特徴に当てはまるなーというような形で、お話しさせていただこうと思います。
「こんな人もいるよ!こんなふうに人生を送ってるよ!」という1例として捉え、私の経験談やものの考え方などに、「私もそうだった!」と共感したり、「それは違うな。。。」と感じたりすることを通して、何かの気づきや安心感を得てもらうことができたら嬉しく思います!